子供みたいな大人の恨み言吐き出し

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はいどうもおはようございますFujituboです。

 

ここのところ行動する気力がガッツリと削がれてしまいましてブログすら書けませんでしたよ。2月に入ってからは精神的にアレなことが多くて情緒や睡眠が安定せず朝方まで眠れないなんてことも続いております。

 

 

ほんとにコレなんとかなるのか疑わしくなってきましたよ…

 

なんというか、やる気になる時期が極端に短くて気力がわかない状態が日常になりつつあるので、実はおかしいと思ってる無気力状態がデフォルトで、やる気ある状態が一時的な躁状態なんじゃないかと思えてきました。まあ、薄々…うん。

 

だとすると現時点で精神科に通って処方されてる薬、コレを見直す必要があるんじゃねぇかと思えてきたんですがいかがでしょうかね。まあ、んなこと知るかって感じですけど。

 

あと最近ちょっと引っかかった単語としては「自己肯定感」ですね。自分は多分これが極端に低いです。配偶者には散々「なんでそんな卑屈なん?」とか「悪し様に捉えすぎ」とか言われ続けています。

 

自己肯定感調べたらこんなん出てきたな。

www.self-esteem.or.jp

チェックシートなんてのがあってやってみたけど高い方って出たぞ…おかしいな。まあ良いか。

 

ただアレですね、自分のことが嫌いかと言われると嫌いじゃないんですが、好きかどうかと言われるとどうなんだろう?と思ってしまいます。自分のことを好きとか嫌いで判断って…する?あまりピンと来なかったりします。

 

話が逸れた。

まあ要するになんか気力がわかないんですが多分これは自分の心の中の伊東ライフ先生が「がんばれ♡がんばれ♡」って言ってくれないからだと思うんですね。なんでかってーとなんでなんでしょね。自分のことを肯定してくれる人がいないと思ってるからなんでしょうかね。こうやってブログに自分の心の様子を書き連ねるのはそれはそれで良いんですけど、これも特に反応ないまま虚空に向かって延々とブツブツ言ってるだけなんですよね。そりゃ私のこんな発言面白いわけがないので当たり前なんですけどね。

 

ブログでもTwitterでもFacebookでも私生活でも仕事でもなんかポーンと放り出されている感があって、ここに本当に私はいて良いんだろうかと思ってしまったりすることが多いですね。私の居場所は無いんじゃないだろうか?って。あはは。居場所を作ってこなかったのは私なのにね。

 

子供の頃から「一緒に遊ぼ」って言えない子でした。自分のことを主張するのが苦手で、最初からいる場所なら良いんですが途中からなにか入ろうとすると自分から言うことができず遠くから黙って見ているだけ。自分から話したり絡んだり、主張したり、それどころか言葉すらかけられません。

 

与えられた役割があればそれは全力でこなしなす。そりゃ与えられますからね。自分に居場所ができれば全力で守りますし居場所で頑張ります。でも新しいところに放り出されると、ダメです。

 

こういう私に対して何を子供みたいな、と思う方もいるでしょう。仰る通りなのかもしれませんがではそこで子供と大人を分ける定義というのは何なんでしょうかね。何かの要素を満たしていれば子供から大人に進化できるんですかね。進化のタイミングを逃してしまえば一生子供のままなんですかね。ただ「○○の能力がないだけ」ではなく、それができないだけで「子供」というレッテルを貼るのは何なんでしょうかね。

 

数年前ちょっとしたゴタゴタがありましてその当時の友人関係をバッサリ切ったことがあったんですが…というか、その友人関係の一人と配偶者がカチ合って絶縁状態になったんですが、それ以外の人から私に対して一切連絡も何もない状態ですね。そういえばそうだ。なんだろう、なんでこの状態で私だけが孤立してるんだろう。結局絶縁状態にはなったけどなんで当事者以外の人間と私の関係まで切れてんだ。結局私一人が割りを食ってる状態じゃないのか。

 

なんだろう、考えるだけで私不要ですねこれ。

 

そうかぁ。カチ合った連中関係なく私がもともと不要だったんだ。そうかぁ。うん。なんというか、私自身特に面白味のない人間ですからそりゃ当然ですわね。

 

特段幸運でも特段不幸でもなく、特段真面目でも特段不良でもなく、存在感は出さず、自分から主張せず、与えられたことは与えられたとおりにこなし、面白みのない結果しか残さず、性格は白と黒のちょうど中間のグレー。

 

私の地元が生んだ偉人である、詩人の宮沢賢治先生は「雨ニモマケズ」という詩でこう述べました。

 

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ※(「「蔭」の「陰のつくり」に代えて「人がしら/髟のへん」、第4水準2-86-78)
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ[#「朿ヲ」はママ]負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

引用:宮澤賢治 〔雨ニモマケズ〕

 

今の私は図らずもこの生き方をなぞってしまっています。ただ東奔西走して人のために行動することはできていませんね。賢治先生、それをすればなにか見えてくるものはありますか。現時点で私から見える景色はクソッタレなものしかありません。

褒められない、苦にされない、そんな無色透明な存在で自分が存在する価値はあるんですか。それとも価値すら求めてはいけませんか。自分を世間から切り離して、ただそこにあるだけの存在に仕立て上げ。

 

そこに何があるんですか賢治先生。

 

私は辛いです。ただただ。