ギガ数の話で思い出した二次創作におけるキャラ崩壊と変化を嫌う僕の話

ギガ数の話が続いて恐縮ですが今日もちょっと触れます。
とはいえ取っ掛かりだけです。

 

fujitubo.hatenablog.com

 

「ギガ数」という表現に対して、これだけ憎しみを覚えてしまうのはなぜ?おしえておじいさんおしえて…と思ったので、おじさんである僕がいろいろと考えた結果、一つの結論にたどり着きました。

 

「物事の秩序を乱しているからではないか?」ということです。

 

もうすっかりおなじみの「ギガ」ですが、もともとは単位における接頭辞の一つで、10の9乗…だいたい10億倍であることを示すものです。1000倍がキロ、キロの1000倍がメガ、メガの1000倍がギガですね。

 

詳しく知りたい方は近所の理系のお兄ちゃんとかに聞くか、Wikipediaとかを見るのが良いかと思います。

ギガ - Wikipedia

 

要するに単純な話ギガっていうのは「量の多さを表す」ことしかしてないんですね。単位ですら無い。それがあたかも、そこにあるかの如く「ギガが減る」なんて表現をしてしまっているわけです。

なので「ギガが減る」と、通常「メガ」とか「キロ」になるわけですね。(コレも違う気はしますが)

 

まあ、僕は言語の専門家ではないですし、新しい言葉とか変な言葉にいちいち目くじらを立てるようなことはしないんですが、それにしたってこのギガ、酷いものである。

 

で。

 

さきほど「いちいち目くじらは立てない」と言っておいて、実は色々と言及しているものがもう一つあることを思い出しました。

 

いわゆる二次創作において、貧乳キャラを巨乳にしたり、口癖が無かったり、根本の設定が違っていたりという「二次創作キャラ崩壊問題」です。

貧乳キャラを巨乳に…ということについてはまあ、特殊性癖の方がよくやられており、それに関してはまあ仕方ねぇなぁと思わざるを得ないんですが、貧乳キャラの絡みを目当てに本を買って、いざ開くとバインボインなプリンスメロンメロンが鎮座。

思わず「Oh…」という声も漏れてしまいます。

 

あとは少し前に、デレマスが出始めの頃の二次創作で、渋谷凛がプロデューサーに対して敬語を使っているものとかもありましたが、コレもそのパターンと言えるでしょう。

 

ただしキャラ設定変更でOKなパターンというのがありまして、「○○の都合で巨乳化してしまった~」みたいなものとか、最初から性別が変わってしまっているTS物なんかは気にならないんですね。

 

「この本独自の設定ですよ~」という前置きがあればそれは原作と別物。TSモノとかふたなり物とか、性別変わる(もしくはそれに近い状態の)ものはタイトルとか表紙で割と明確に書かれている上に「明らかに原作と違う」ということが一目瞭然だからでは、と。

 

あくまで原作の延長、原作のフリして、結局贋作を持ってくる、みたいな。そういう態度が気に食わないということなんだろうなぁと思います。

 

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で。で。

 

ここまでこっ恥ずかしい話を続けてきましたけれども、そういえば自閉症スペクトラムとかアスペルガーの方も「変化を嫌う」という特性があったなぁというのを思い出しました。

 

ここで言う「変化を嫌う」とは、例えば毎朝の通勤で同じ電車の同じ車両、同じ乗車位置から乗り込み同じ座席に座るなど、想定した行動から外れることを極端に嫌うとか、そんな感じのものですね。

 

私個人としては会社への出勤前に最寄りのコンビニで決まった銘柄ののど飴、おにぎり、ブラックコーヒーを買っています。選ぶのが面倒とか好きな味だからとか理由はいろいろあるんですが、確かに違うものを選ぶとなんか落ち着かなかったりします。いつもとは違うブラックコーヒーを買ったときに余計に味の違いが気にあったりとか。

 

今回の記事で挙げたギガにしろ二次創作にしろ、自分が考えている秩序があり、そこから外れたものに対して不快感を持つというのは、もしかするとこういう特性が関係あるんじゃないかな…と思ったりしました。


ちなみに配偶者にこの話をしたら「それは違う話じゃない?」と言われました。
書いててなんですが、正直…僕もそうなんじゃないかと思ってはいる。