そういえば「なんで訛ってないの?」って言われた事がある。
ちょっと懐かしいと思ったネタがあったので反応。
私は東北の岩手県出身で、ちょうど祖母もこういう風な書き方をしていたなぁということを思い出したのです。ちなみに祖母の場合は「シソ」を「スソ」って書いてました。
こういうときの脳の認識ってどうなってるんだろうなーと、ちょっとだけ興味があります。
中学生の時に数学を担当していた教師が滑舌の悪い人で、「チキュウ」と「キキュウ」の発音が区別できないというのを思い出しましたが、その教師は地球と気球の区別は付いてました。
滑舌が悪いのと訛りは違うでしょうが、じゃあその境界はどこにあるんでしょうかね。
可能性として考えられるのは、訛っている人に育てられた人は訛った発音の物が正しいと思うのではないかと。うちの祖母に育てられて「シソ」という植物を「シソ」として知ることができなかった人は「シソ」を「スソ」と思うのかもしれません。
あとは、祖母の世代は現在ほど文字コミュニケーションが容易ではなかった、という可能性はあります。祖母は大正15年生まれなのですが、当時は現代より言語コミュニケーションが主なはずなので、物を知るにもまずは口伝から始まるのでしょう。
そのため正式な表記を知ることなく知識が定着してしまったのではないかと思われます。
となると、なぜ他の地域で観測されていないのか?という疑問が出てきました。
まあこれは気候要因による言語の変化(寒いと口が動かずサ行の発音に影響が出るということがあったはず…)などがあるかと思いますので、そもそも発音する五十音が変化する訛りが東北地方固有の物だったりするのでしょう。
あ、ちなみに私は言語学者でも何でもないのですべて推論です。悪しからずご了承くださいね。
さて、仕事戻ろーっと…