溺れるものに石を投げつける社会に誰がした

この記事を見て思うところがあったのでなんか書こうと思うよ。

 

billword.hatenablog.com

 

男らしさの強要、というのは私自身も子供だった頃からアラフォーと呼ばれる現在に至るまで感じているところだったりします。

 

例えば僕は子供の頃はすぐ泣く子だったんですがそれはたいてい「泣くんじゃない」って咎められますね。理由は「男だから」とか「みっともないから」とかそんな理由で。あとはクラスの女の子に集団で寄ってたかって罵倒(適切な表現が見つからなかった)されたときに、激昂して物を投げてケガをさせてしまった事があるんですが、事情を聞かずケガをさせたことだけを責められたりしました。まあ、それは仕方ない面もあるんですが、こちらの事情を全く無視されて10対0で私が悪いことにされてしまったのは今思い出しても納得がいかない。T橋先生覚えてますか。僕はこんなに歪みましたよ。

 

あとはこれは関係ないかも、と思ったんだけど思いついたから書くんですけど、私は髪を切るのがとても嫌で、これには男性性の忌避的な側面がちょっとだけあるんです。でも髪を伸ばしていると大抵切れとか言われるんです。これも自分としては納得がいかない。まあ頭髪に関しては切れと言われる他の理由もありますが…これはおいおい解決していこう。

 

話が逸れてしまったので戻します。

先程あげた記事は主に男性性の強要、ということで語られていましたが、おそらくこの「男性性の強要」は所謂「世間一般」で言うところの「あるべき姿」から外れているものへの否定という要素がある行動なんじゃないかと思っています。弱い男性を認めず、強い女性を認めず、女性に対しては男性の言いなりになることを是とする。そんな意図があるように思います。

 

それは「弱い男」「ダサい男」「頼りない男」を否定しないことだと愚考する。
刃物に怯え逃げる「弱い男」、おごってくれない「ダサい男」、声の小さい「頼りない男」を決して見下さず、彼らを対等な人間として扱うことがスタートラインなのである。

引用:男だって弱くていいだろ - billword’s blog

 

 なので解決するにはこれしか無いのかなと。ここでは「弱い」「ダサい」「頼りない」と言われているが、要するに「外れたもの」への否定をやめてくれと。そう思わずにはいられないのです。これは男女の問題だけではなく、経済的に困窮している弱者とか、知力や体力が著しく劣る障害者という弱者だけでなく、莫大な富を得ている成功者とか、オリンピック連覇するようなアスリート、スターダムを駆け上がった芸能人、その他諸々の「普通じゃない」状態にある人への「異常な否定」のことを含めています。

 

(まあ、その中でも「悪いことした人」は裁かれるべきではあると思うけど、そうであっても現代には法律というものがあってだね…法律があればいいんじゃないですかね)

 

現代は普通であることや品行方正であることを必要以上に求められている気がするんですが、なんだろう、普通とか品行方正という言葉を盾にしてただ単に嫌いな物をぶっ叩く免罪符にしている人が多いようには思います。ほんと窮屈です。

 

まあ、そんな窮屈な世界の中でも頑張って生きなきゃならんので、大変です。