お前は誰のおかげで飯が食えてると思ってるんだ問題に対する私の経験則と見解

きょう配偶者にこの記事を見てと言われて、感想を連ツイしたら意外と反応があったのでちょっとだけ掘り下げてみるよ。

taikipapa.blog

 

記事の内容は夫の収入のみで経済的に生活に困らないくらいの稼ぎがあり、子供もまだ小さいんだけど、外に出て働きたいという女性の悩みを見た方の議論について。

 

---

 

この記事で書かれていることを理解するために、いくつか重要なポイントがあると思ったのでそれについてツイートしました。ツイート+補足という形で書きますのでどうぞ。

 

この記事の1つ目の項で書かれている「経済的DV」の意味、男女ともあんまり理解してない方が多いんじゃないかと思ったので、自分の経験を踏まえて反応してみるかと思い立ったのです。

ちなみに私自身、過去に配偶者から「経済的DVをやめろ」と言われたことのある立場です。私は経済的DVなどしていない、配偶者はしているという主張を曲げずに話はいつも平行線でした。まあ、今思えばガッツリ経済的DVに当てはまる行動をやっちゃってたんですけどね。

 

経済的DVをする側のよくある反論パターンは3つあると思います。
①十分に使える金を渡して自由にさせているから経済的DVではない
②金が必要なら必要だと言えば渡すのに、言ってこないから渡していない。不満なら言えばいいのに。
③そもそも安月給で家に自由にできる金がないのに金を寄越せという方が経済的DVなのではないか?

「経済的DV」と言う言葉が原因なのかもしれませんが、経済的DVで悩んでいる方のいちばん重要なポイントは「お金がない」ことではないです。元記事にも書いていますけど、「自由がないこと」です。さらに付け加えると「自分以外から資金を与えてもらえないと生活できない状態に“させられている”」ということです。

私は過去にこのパターンの②と③をやってしまっていて、しかも経済的DVだと全く理解していないまま10年以上やってきてしまっています。今は自覚して、不完全ながらも改善のために動いてます。

②③ともに自分の都合で相手を縛ってる行為です。相手を拒絶したり切り捨てたりする行為と同等ですし、人生のパートナーとして生きる配偶者を軽んじる行為です。

 

一連の流れで一番重要なポイントは「相手を人間扱いしているか?」ということです。ここで言う「人間扱い」とは、相手と対等な立場で振る舞うということです。
対等な立場で物事を相談したり、決めごとを作ったり、ルール作りが必要になります。もちろんすべての行動は対等で双方向であることが必須です。

「~~が~~だから~~~じゃん、お前もそれでいいよな?」は対等ではないです。

先程挙げた経済的DVの反論パターンに当てはめるとそれぞれこんな感じかと。
①相手が同意しているか?相手の意思は介在しているか?
②自分から相手に困りごとがないかをヒアリングしているか?お互いにコミュニケーションを取った上で双方困らないような体制は作れているか?
③無い袖が触れない場合は妥協と譲歩は必要だけど、一方的な妥協や譲歩になっていないか?そもそも無い袖が触れないという状態を相手は知っているか?

もちろん、対等に相談した上でこの形になっているのであればそこに問題はありません。そもそも家族やパートナー、夫婦間の問題に必要以上に踏み込むつもりもありませんし。

 

また、先程から書いている「経済的DV」に加えて、コレも勘違いされていることではないかと思います。

家族・パートナー・夫婦などにおける夫(もしくは妻)の役割は、外で仕事をして金を稼ぐことではありません。「関係者間のコミュニティ(多くは家族ですね)を創り上げるために行動すること」です。同じく妻(もしくは夫)の役割も家で家事をやることではなく、コミュニティを創り上げるために行動することです。ここでの「コミュニティを作るための行動」というのは、「コミュニティに属する関係者の関係性向上のために行動ができたか?」ということです。
ややこしいんでザックリいうと「相手の幸せのことを考えて動いてる?」です。

外で仕事して金渡して「あとは知らね」というのはコミュニティを維持するためには不十分ですし、コミュニティのことを知らんというのであれば貴様は一人で暮らしてろと言う結論しか出ないです。

私も「外で仕事して家で家事やってあとはなにが不満なんだ」という類のことを配偶者に対して言ったこともあります。その時の私は仕事と家事をやってれば十分だと思ってましたが、今振り返ると私の思考には配偶者の姿は無かったです。
夫婦という形さえ作れればあとは勝手に幸せになると思い込んでいました。

 

記事として補足を加えながら書くと長々と説教じみた内容になってしまいました。
正直なところ今話したことの対象となる方は多く存在するでしょう。しかしながら私はこの文章を自分のために書いています。

過去自分がやらかした行動への反省と、今後改善するための自分への戒めとして。